ヒゲガンのブログ

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TENET/テネットの決定論的世界観

TENET決定論的世界観:MAGNE VIKING号

時間反転の基本ルール

映画「TENET テネット」の中では、回転ドア (turnstile) と呼ばれる特殊な設備によって人や物の「時間の向き」を個別に反転 (順行⇔逆行) できる。但し、逆行中も時間がマイナス1倍速で進むだけで、いわゆるタイムトラベルのようなジャンプはできない (1日戻るのに1日かかる)。また、時間の反転は一筆書きであり、逆行に入った人間は順行の自分と併存しつつ年を取り続ける。若返りはしない。再度反転して順行に戻ると、最初の逆行時点に達するまで3人の自分が併存することになる。回転ドアのサイズの制約か、劇中で反転するのは人や車の大きさ以下の物に限られており、船舶やヘリはすべて順行とみられる。これらを踏まえて、本作における時系列の概念、決定論的な世界観について考察してみる。

最終決戦前の時空

下の図は、キャットの被弾~回復の後、MAGNE VIKING号 (黄黒の船、以下MV号) に乗船した主人公、ニール、キャットの3人が14日の最終決戦 (10時台の10分間) に向かうまでの時空を示したものである。変な視点かも知れないが、自分はこの部分で大いに引っ掛かり、その上で本作の全体像が掴めたのでここから見ていく。

TENET決定論的世界観:最終決戦前の時空

図中の緑の丸は、最終決戦で青チームに属するニールがスタルスク12に向けてMV号を発った時刻である。その後、赤チームの主人公もスタルスク12へ発ち、キャットはそのままベトナムへ向かうが、目指す時刻は3人とも同じ「14日の10分間」である。ここで、目的地への移動に要する時間 (図中、各々が通る黄色帯の長さ) に注目すると三者バラバラである。その差からすると、例えばニールがスタルスク12で決戦を迎える頃、主人公はまだMV号の上で逆行中で、スタルスク12には着いていないように思える。シベリア沖からベトナムまで、船で約1万kmを移動するキャットに至っては到着まであと10日はかかる (注1)。ニールと主人公が余分な順行と逆行を挟んでキャットを待つことは可能なはずだが、劇中でそんな描写や言及はみられない。そんな時間調整をしなくても、主人公とニールは同じ時刻にスタルスク12で最終決戦に臨み、キャットも同時刻にベトナム沖でセイターと対峙していた。

注1:日本語字幕/音声で主人公がキャットに「君はもう1日遡りベトナムへ」と言うシーンがあるが、ベトナムまでの距離 (1万km以上) からして誤訳と思われる。もし途中からヘリを使うとしても、ヘリの航続距離 (長くて1千km) 的に大半は船移動になる。正しくは「ベトナムまでの時間を稼いであと数日戻ってくれ」くらい? 原語は「You keep going back another day, give you some time to get back into Vietnam」。

時間の速度は重要じゃない

つまり、人や物は±1倍速で時間を進んでいくのだが、その先で因果に従って起きるはずのことは、個々が経験する時間の進行とは関係なしに、もう各時刻に起きているのである。まさに決定論的な世界観である。キャットを例に考えてみると、MV号で逆行中だった彼女は、主人公同様、どこかの時点で順行に転じ、MV号とは逆方向行きの船に乗り換えたはず。そしてそのまま旅を続け、MV号で主人公と別れてから約10日後、ようやく14日のベトナムに到着した (14日から14日へ)。その日、シベリア沖でキャットと別れたばかりの主人公からすれば、同日にもうベトナムにいる「未来のキャット」(注2) は時空をジャンプしたも同然である。だが彼女は、実際に長い船旅を経験し、その背後に積み重なった無数の因果に決定されて、言わば史実として最初から14日のベトナムにいたのである。

注2:主人公と出会う前の「過去のキャット」がベトナム沖でこの「未来のキャット」のダイブシーンを目撃済みである (主人公との最初の食事シーンで回想)。つまり14日には、MV号上の「現在のキャット」と合わせて同時に3人のキャットが併存していたことになる。

命がけでこの世のシナリオをなぞる

劇中で何度か登場する「What's happened's happened」(起きたことは仕方ない) というフレーズ。順行者しかいない現実の世界ではほぼ文字通りの意味である。しかし、本作の世界ではその重みが違ってくる。それは、この言葉を、未来を知る逆行者が順行者に向ける時、あるいは過去を知る順行者が逆行者に向ける時に、その先で「起きること」に関する警告をも含意し得るからである。ニールがこの言葉を何度も口にしていたのは、そんな決定論的な世界を身をもって体験してきたからだろう。

最終決戦後の会話のシーンで、主人公は今から過去に向かうニールの最期を知っていたが、そのおかげで自分が生きていること、そしてそれが仕方ないことを理解したから、もはや彼を引き留められなかった。逆行の設定は本作の目玉だが、決定論を持ち込んだことがその面白さをまさに決定的にしていると思う。結局、主人公たちは全編を通じて何も運命を変えていない。本作は登場人物たちが「この世のシナリオ」を命がけでなぞる様子をエキサイティングに描いているだけである (注3)。その意味で、主人公の役名をProtagonistとしたのは粋である。

注3:極めつけは、主人公とアイブスが救出されるクライマックスシーンを青チームのヘリがスタルスク12に着いた時点 (青チームの作戦開始) の映像ですでに見せているところだろう。

TENET決定論的世界観:クライマックス先出し

無知は我々の武器

しかしながら、単なる決定論の肯定が本作の主題ではないだろう。「無知は我々の武器」や「(起きたことは仕方なくても) 何もしない理由にはならない」などのセリフには、ノーラン監督の「人間の努力の意味を信じたい」という思いが垣間見える。これがいわゆる両立論 (柔らかい決定論) の支持を意味するものかどうかは分からないが、少なくとも決定論を悲観的に見ているわけではない気がする。まぁそもそも現実世界では未来を知り得ないので、皆自ずと無知を武器に努力しているのだが。

タイムカプセルのやりとり

ちなみに、こうして本作の決定論的な性質が分かると、セイターと未来人の取引方法にも納得がいく。タリン市街地での主人公とニールの会話によると、セイターはまず「秘密のポスト」(dead drop) に空のタイムカプセルを埋めて、その場所を何らかの記録に残す。すると、決定論的に、その記録とカプセルは数世紀後の未来人に「すぐ」届く (ここまでは現実でもあり得る)。未来人はそのカプセルに金塊などを入れて逆行化し、埋め戻す。それもまた現代に「すぐ」届くので掘り出す (注4)。「秘密のポスト」は核関連の閉鎖地区にあるため、埋めたカプセルは数世紀の間、他者に見つかることなく確実に存在し続ける。それはつまり、未来にも過去にも、届くはずのものは「すぐ」届くということを意味する。

注4:この手順だと、ずっと同じカプセルを使った場合に、片道毎にカプセルが増えていくはず (埋めた順行カプセル + 返送された逆行カプセル + 順行に戻して埋めたカプセル …)。

特大バグ? 存在と性質の方向

ただ、ここには特大のバグがある。未来で逆行化されたカプセルとその中身は、逆行中の人間同様、回転ドアで順行に戻されない限り、過去に向かって存在し続けるはずである。しかし、劇中の逆行カプセルは、順行者によって地中から掘り出された途端、回転ドアもなしで「存在の向き」が順行に変わるのである。

例えば、セイターが主人公に自分の過去を語る回想シーンで、ブルドーザーが押しのけた土から出てきた最初の逆行カプセルは地面に向けて転がり落ちた。これがもし逆行物なら、順行視点ではこの逆の動きになるはず (逆行中も重力は順行時と同様に働くため)。また、若きセイターがそのカプセルを開けて中身の契約書と金塊を目にするが、その時間、カプセルはそもそも逆行中で土の中にあったはずである。それが、いつの間にか順行のセイターの手元で未来に向けて存在しているのである。

TENET決定論的世界観:存在と性質の方向

この現象は、バーバラの研究室にあった未来からの壁や逆行弾、豪華ヨットにヘリで運ばれてきた金塊入りのカプセルにも当てはまるので、発掘された逆行物に共通する何らかの理由付けがあるのかも知れない。それにしても、逆行弾の挙動は逆行のままだし、金塊はセイターの手に上っていくしで、存在の向きだけが順行に戻って性質は逆行のままというのは、かなりご都合主義的である。

ただ、逆行の静物を順行者が動かすこと自体 (その逆も)、想像が難しく、設定が曖昧なのも分かる。さらに細かいことを考えると、逆行物を動かすことでそのブツの時間が反転するとしたら、その後は逆行と順行のブツが併存するはずだが、例えばタイムカプセルを掘り出さずに1cmだけ動かした場合、順行化したカプセルと逆行のカプセルが空間的に衝突しそうである。決定論に沿った美しい解はあるだろうか?

ご清覧ありがとうございました。

TENET テネット(字幕版)

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  • ジョン・デイビッド・ワシントン
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